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断想

レトリックのうまさ

なるべくきれいな文章を書きたい、そんな欲望があるが、なかなか自分の心躍るような文章は書けない。ブログを書いているのは、文章修行も意図している。

だが文章をうまく書くのはどこか軽薄なところを感じる。まるで見た目だけを着飾って中身がない人間みたいな。この類比で行くと、文章はあまり着飾りすぎず、できるだけありのままで書くのがよい気がする。伝えるべき真実だけを極力シンプルに提示して、余計な比喩表現などは削り取っていく。しかし、それでは何か大事なものが失われてしまうような気がしてならない。

これは文章を書く動機が何かによって変わってくるだろう。真実を伝えることが急務の場合は、レトリックはなるべく排除されるべきだ。例えば新聞などのニュースはそれに分類されるだろう。だとすると、新聞の記事が文章として目指すべきものとなる。新聞の文章はそれで役割を担っているからいいが、それが一番いいとはやはり思わない。新聞の文章はどこか最善のものにへと収斂していくような気がする。もし同じ事実で新聞記事を書くとする。その時、推奨されるかきかたは一つの模範として決まってきそうだ。これもいいがあれもいいとはなかなかなりそうにない。そうなるとそこには個性というものが輝く場所がなく、減点方式で最善から減点されることになる。

そうなると、文章を書くとき、真実を伝えることが二の次であったなら、レトリックは重要ということになる。それどころか心が躍るならいくら中身が空っぽであっても、それは不問になるということだ。それも素晴らしいことではないかと思う。ただただキラキラとした読書体験。何を読んだのと言っても答えられないような。

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