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断想

継続するとこに関して

このブログをできれば毎日更新しようと思っていたが、そうはできなかった。まぁ、最初からそうなるだろうなとは薄々思っていたが。相変わらず自分の意志の弱さには辟易する。皆さんも多かれ少なかれそんな側面を持ってらっしゃるのではないだろうか。どうだろうか。僕は継続できる人間にならなくてはいけないだろうか。

継続している人の話はよく聞く。例えばカント。カントは毎日決まった時間に散歩をしており、町の人はカントを見ることで今の時間を知ることがあったという話だ。他にはイチロー。イチローは試合前に決まったルーティンをして体調を整え、打席に立ったらあのお決まりのポーズをとる。

継続して同じことをする利点とは何んだろうか。それは微細な変化に気が付くことができるというのが一つだろう。イチローの話で考えてみる。イチローは試合前同じストレッチを毎回する。それを聞くとすごく単調な気がする。実際それをしようとするまでは気が重いこともあるだろう。しかし、実際いつもの動作をすると、その感じ方は日によって毎回違う。今日はいい動きができそうだとか、今日はここの動きが硬いな、とかいろいろ情報が出てくる。漠然と体調が悪いなということではなく、より精度高く体調不良の原因に目を向けることができる。漠然と体調が悪ければどう対処すればいいかわからないが、詳細にわかれば対処の仕方もわかりやすい。そうすれば体調によらず善いパフォーマンスをよりコンスタンスに出すことができる。

逆に、継続することの欠点はどうだろうか。一つは新鮮さがなくなることにあるだろう。同じ行動をしているとき、いくら気持ちがその行動について詳細に目を向けようとしても、気が逸れてしまうのが人間だ。先ほどイチローの例でいえば、同じストレッチで微細の変化をつかもうと意識的になっても、脳が同じ動作と判断して微細な変化を無意識的にブロックしてしまうということだ。いくら注意してチェックしても、ケアレスミスが減らないということもそれに当てはまると思う。

思ったが、継続できないことをあまり気に病むことのほうがよくないような気がしてきた。うん、あまり深く考えないようにしよう。できれば継続を。できなければ忘れよう。そういう都合のいいボケをかましていこう。

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