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断想

怒りの感情の処し方について

日常生活生きていて、怒りを常に感じる人も多いと思う。中には自分は温厚であまり怒りを持たないという人もいるだろう。

大抵怒りと言えば、他者に対する怒りを指す。しかし、自己に対する怒り、つまり自責の念も怒りと捉えると、怒りを持っていない人は少ないのではないだろうか。

自責の念も怒りに捉えるという考え方は、それほど一般的ではないと思う。これは仏教系の本を読んでいた時に発見したものだ。たしかに、怒りを「期待を裏切られたときに湧き上がる感情」という風に定義したなら、自他の区別は関係なくなる。そうすると、怒りを感じてない人はほとんどいないような気がする。怒りはほぼ万人に対して処し方を考える必要があることになる。怒りは視野を狭くする。体は固くなり、同じ考えがぐるぐると回る。そんなことをすれば、状況はさらに悪化するだろう。

怒りの対処法は2つ考えられる。

一つは「期待を持たない」という対処法だ。定義上「期待を裏切られた」ら怒りを持つのだから、端から期待を持たなければいい。あれは紳助さんが言ってたんだっけ。日常生活でむかつくような相手に遭遇した時の対処法を語っていた。紳助さんは頭のいい人だから特にそう感じることも多かったとだろう。かつてはよくそんな人に対して怒りを持ってしまっていたらしい。しかし、ある時その対処法を考えついた。それは、相手のことを「あいつはまだ人生1回目なんだな」という風に思うことだ。これはすごく賢いやり方だと思う。何も本気で輪廻転生を信じる必要はない。輪廻転生はありえないという人も多いと思うが、かといって否定する証拠もない。つまり、いかようにも利用することが可能となのだ。となればこちらが都合のいいように輪廻転生という幻想を利用していやればいい。

もう一つは「怒り」をばねにするという方法だ。最初の方法は怒りが湧き上がらないようにするのに対して、こちらは逆に怒りの強い感情を利用する。それはよくスポーツ選手で聞く話だ。とあるバスケットボール選手は常に対戦相手を挑発するらしい。相手がイラつくことを常に言ったりする。それにつられて言い返したなら、それはその選手の思うつぼだ。その選手は言い返された言葉から怒りの感情をもらい、それをばねにして、その試合を通して活躍するのだ。怒りは身体機能を向上させるような脳内物質が分泌されるのだろう。しかしこれは日常生活ではうまく役には立たない気もする。日常的な怒りとは、細かいことでいちいち言うほどでもないが、確かに不快なものなのだから。どちらかと言えば、どうしても逃げられない怒りに遭遇した時に利用するしかないだろう。ただ、怒りによってパフォーマンスが下がらないよう、視野が狭くならず、建設的な方向に力を変えてやる必要がある。言うは易く行うは難し、の一例だと思う。これは訓練が必要だろう。

僕らは怒りに対して選択ができる、と思うのが何より大切だ。コントロールできないと思うことほどストレスはない。怒ってもしょうがないような状況であれば、それは相手への期待を基本は下げていくのがいいだろう。減点方式ではなく、加点方式で生きていくのだ。中にはそうやってうまくやり過ごせない怒りもあるだろう。そういう場合は、怒りに向き合い、それを次の行動の原動力にするしかない。それが僕らができる唯一のことのような気がする。

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