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断想

必要善

必要悪という言葉がある。本来は悪いとされるものが、ただ否定することができず、何らかの機能を果たしているとき、そのものを必要悪という。この言葉には矛盾が含まれているように見える。悪であるが必要とされている。普通必要とされるものは善と言えるはずだ。これでは悪でもあるが善でもあるという風になってしまう。

この矛盾をどう解消しようか。善悪の判断には「何にとって」という対象が不可欠だ、という風に考えればうまくいきそうだ。

例えばタバコを例にとってみよう。タバコは肺がんなどの発病リスクを上げたり、歯が黄ばむだり、においが気になったりと様々な害がある。端的にいって、悪い存在だ。しかし、タバコを吸う人はいる。おいしいとか、リラックスできるとか、かっこいいからとかいろいろ理由があるだろうが、それがその人にとって善いから吸うのだろう。タバコを吸う人は矛盾しているのだろうか。そうではない。喫煙者は、未来の自分にとっては悪いことをしているが、今の自分にとってはいいことをしている、と言えるからだ。時間的な広がりを持たせると、善悪が並列されても矛盾ではない。祖父は、かつては子供や青年であったし、今は老人であるし、いつかは死人になるだろう。同一人物に矛盾する概念が並列されているが、これを矛盾とは誰も思わないだろう。同様に喫煙者も矛盾しているとは言えない。

別の言い方をすると、必要悪には、隠された善があるということができそうだ。このほうがストレートでわかりやすいかな。つまり、「タバコは必要悪だ。」とは、「タバコは健康という点では悪だが、今の快楽を高めるという点では善だ。」とパラフレイズできる。

 

必要悪について考えていると、ふと思いついたことがひとつある。「必要悪があるなら、必要善もあってもいいんじゃないか」。けど、これはすごい普通のことのようだ。必要とされる善。必要とされることは善いことだろうし、善いことは必要とされるだろうから。必要と善は、トートロジー、同じ言葉を言い換え、善い=必要と言える気がする。。

必要善という言葉を機能させようと思ったら、通常は善が必要とされない世界を考えてみればいいのではないか。そうすれば、「本来は善なので必要とされないが、何らかの機能を果たしているため必要となっている善」という風に、必要善に生命を吹き込むことができるのではないか。

その具体例はまた後で考えてみようと思う。

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