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哲学

「現実性の問題」②はじめに

前回は、「現実性の問題」という本を見たときに頭の中に浮かんできたことを書いた。今回は内容に入っていく。


この本は次のような問題提起から始まる。

「離別と死別には果たして違いがあるのだろうか?」

ここで一つ、自分を2人に分裂させて議論を戦わせてみたいと思う。最初はなるべく本書の流れに沿いながら。そして、途中からは自由に議論を繰り広げていきたいと思う。

 

自分A
離別と死別の違い?そりゃ、あるに決まっているさ。離別はその気になれれば会えるけど、死別はそうはいかない。万に一つも可能性はない。相手の消息が全くつかめない離別でも、ひょっとしたら偶然に会う可能性だってある。

自分B
いやでも、可能性可能性っていうけど、会わなかったらそんな可能性の差なんて全く関係ないじゃないのかな。だって現に会ってないんだから。離別の場合は会える可能性があるっているってるけど、死別の場合だって、彼が生きていたかもしれないパラレルワールドや、何らかの方法で生き返った彼を想像することだってできるじゃないか。どんなに非現実的だって、想像しようと思えばできちゃうわけだ。だから、離別も死別も、現に会わないってことは一緒だし、可能性だって考えてみれば変わらないじゃないか。

自分A
いやいや、それは可能性の概念を広げすぎていているせいで、そうなっているんだよ。死んでいる人と会うことは非現実的と上で書いているじゃないか。それがポイントなんだよ。現実的な可能性と非現実的な可能性とを区別する、これが大事なんだ。

自分B
あなたは離別と死別を区別するために、現実と非現実を分けようとしているだけだよ。自分の主張を正当化するための区別を自分でこしらえているだけさ。それに僕の一番言いたいことは、現に再会していないなら2つとも一緒じゃないかってことだよ。

自分A
再会してないなら2つとも一緒だという点はわかったよ。でも、離別なら偶然会えることもあるだろ?

自分B
まぁ、会えるかもね。

自分A
じゃあ、今度は死別した人はどうだ?何か現実的に会う方法があると思うか?

自分B
それはわからないけど。

自分A
ほら、そうだろ。君はしっかりと離別と死別を区別しているじゃないか。離別の場合はちゃんと再会する道筋が見えるけど、死別の場合はそうはいかない。これがすべてだよ。

自分B
確かにどうやって会えばいいかわからないよ。けどあなたは離別した人と再会する可能性を、不当に現実と見做そうとしてるんだよ。離別と死別は両方とも現に会えてなことでは一緒だって、さっきそれには納得してくれたよね。

自分A
ああ、それには納得した。

自分B
けどあなたはその大事さを理解していない。両方の場合とも、現に再会できていない、そこがまず現実なんだ。そして現実になっていない2つの再会を比較しだして、より起こりそうだからという理由だけで、離別の再会の可能性を現実にすりかえているんだ。現に再会してるわけでもないのに。

自分A
いや、不当に可能性を現実にすりかえてなんかいないよ、人聞きの悪い。

自分B
じゃあ、離別した人と会う可能性と死別した人の会う可能性をどうやって比べてるの?

自分A
どうやってって、現実的に考えたらそうなるだろう。離別した人と再会する可能性はうまくは言えないが、ケースバイケースだな。100%会える場合もあるだろうし、奇跡のような可能性しかない場合もあるだろうが、0%とは言えない。それに対して、死別した人との再会の可能性は全くの0%。これほど明確な差はないだろう。

自分B
そういう数値を持ち出しても、現実になるわけじゃないでしょ。

自分A
なんだ、死んだ人の会う可能性が0%じゃないって言いたいのか?

自分B
それもそうかもしれないけど、何よりも再会してないならそんな数字をいくら出しても、なんの違いも生み出さないってことなんだけど。

自分A
待て、死んだ人に会う可能性は0%じゃないって言ってるのか。

自分B
いや、別にそのことを強く主張したいわけじゃないんだけれども・・・じゃぁさ、明日急に物理法則がガラッと変わることって十分考えられることじゃないかな?

自分A
いや、全然可能じゃない。というか、なんで物理法則なんか持ち出してきてるんだ?

自分B
物理法則を持ち出したのは、可能性の話をするためさ。可能性は0%とは言い切れないと思うけどな。

自分A
物理法則は普遍的に適応できるからこその物理法則だろう。それが急に変わってたまるもんか。

自分B
いや、僕も急に変わったらそりゃ困るよ。困るけどさ、物理法則って、全部過去の現象の観察によって出てきたんでしょ。じゃあ、それを未来にも適用できる保証なんてまたどこにもないじゃん。

自分A
君はすぐまた非現実的な方向に走るね。もっと現実的にならないと。

自分B
いや、あなたのほうが現実を不当に見積もっているよ。どんなおかしな現実でも、もしそれが現に起こったんだったら、それが現実になんだから。

・・・


まだまだ議論は続くだろうが、ここで区切っておこう。

今の議論の中には2つのものがせめぎ合っている。

現実性と可能性だ。

現実性と可能性の議論には決着がない。現実性が優位になったと思ったら、今度は可能性が優位にななったりする。それはまるでウロボロスの環のような円環構造となっている。

現実性と可能性との対立を、この本では円環モデルというもので説明している。円環モデルには入不二さんの長年の思索がすごい密度で詰まっていて、それを見る度にいろんな考えが頭を巡る。この説明はまた時間のかかることなので、今回は詳細に入るのはやめにしておいて、要点を押さえるだけにしようと思う。円環モデルは次の2点のことを特に示していると思う。

①現実性のはたらきを顕現性から分離して、純粋な現実性のはたらきだけを抽出することができるということ。
②その純粋な現実性のはたらきは、現在性・可能性・潜在性のすべてに対して遍くはたらいているということ。

このことの更なる説明も含めて、また次回に回します。
今回はここまで。

 

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